俳優としてご活躍されている高橋文哉さん。
この記事では、高橋文哉さんの出身大学や高校などの学歴について調査してまとめていきます。
高橋文哉のプロフィール
名前 | 高橋 文哉(たかはし・ふみや) |
生年月日 | 2001年3月12日 |
出身地 | 埼玉県春日部市 |
身長 | 176cm |
血液型 | B型 |
趣味 | ボーリング、ゲーム、ゴルフ |
特技 | 料理 |
所属事務所 | A-PLUS(エープラス) |
「A-PLUS」所属有名人
DAIGO(アーティスト、タレント)、松井玲奈(女優、タレント)、ほしのあき(タレント)
高橋文哉の学歴
高橋文哉さんの学歴を調べてみたところ、以下の学校を卒業していることがわかりました。
- 大学には進学しませんでした
- 出身高校は「野田鎌田学園高等専修学校」
- 出身中学校は「春日部市立豊野中学校」
- 出身小学校は「春日部市立桜川小学校」
学生時代のエピソードとあわせて見ていきましょう!
大学には進学しませんでした
高橋文哉さんは高等専修学校卒業後は大学などに進学せず、芸能活動に専念しています。
ちなみに高校3年生の夏には就職先が決まっていましたが、それを辞退して本格的に芸能の仕事をするために上京してました。
高校卒業後の2019年には『仮面ライダーゼロワン』に出演し、なんと主演に抜擢されました。
出身高校は「野田鎌田学園高等専修学校」
- 野田鎌田学園高等専修学校
- 千葉県野田市野田389−1
- 偏差値:なし
高橋文哉さんの出身校は、私立の共学校の野田鎌田学園高等専修学校です。
この学校には調理高等科・情報高等科の二つの学科があり、調理高等科に進みました。
また通信制高校のあずさ第一高校(偏差値なし)と提携していることから
高校卒業の資格も取得することができます。
高等専修学校とは
中学卒業者を対象とした課程。
社会に出てすぐに役立つ実践的な職業教育を行い
いろいろな分野でスペシャリストを養成している学校です。
2016年4月に入学し、2019年3月に調理師免許の資格と高校卒業の資格を取得し卒業しています。
高橋さんは野田鎌田学園高等専修学校は私立でお金がかかるので、公立の高校を出てお金を貯めて料理の専門学校へ入ろうと考えていました。
しかしお母さんの言葉に背中を押され、この学校に入学しました。
(僕は)高卒で就職、お金をためて調理の専門学校に入る考えでした。
でも母は「一番早く調理師免許を取れる道に進みなさい。
お金がないから負担もかけるけど自分のやるべきことをやりなさい」と
母の言葉に背中を押され、高卒資格も免許も取れる私立の学校へ進みました。
料理の勉強を兼ねて中華料理店でアルバイトして奨学金を返しながら
母に少しでも楽をさせたいと、時間がある限り働きました。
引用:東京すくすく
母親思いが伝わるエピソードだね
ちなみに目標はフレンチのシェフになることでした。
高校時代は部活には入らず帰宅部でした。
当時は親友と「モテそうなことをやろう」と考え、ダーツやボーリング、ビリヤードもはじめています。
特にボーリングには熱中して、1日30ゲームをやったとか。
また当時のハイスコアは260台だったことから、かなりの腕前のようですね。
「男子高生ミスターコン」出場へ
高橋さんは高校2年生だった2017年6月に「男子高生ミスターコン2017」に応募し
その年の12月にはグランプリを獲得しています。
2018年4月から芸能活動を開始していますが、学業と仕事の両立は大変だったことをインタビューで述べています
「男子高生ミスターコン」とは?
「みんなで選ぶ、日本一かっこいい男子高生」をコンセプトに掲げる
全国規模の男子高校生限定のコンテスト
出身中学校は「春日部市立豊野中学校」
- 春日部市立豊野中学校
- 埼玉県春日部市銚子口130
中学1年生の時に両親が離婚して以降は、母子家庭でした。
その際には2人の兄(8歳と6歳年上)が「父親代わり」になったそうです。
母親は離婚以降、飲食店を経営したほか
ショッピングセンターでパートをおこなっていました。
また高橋さんも離婚後は忙しい母親の代わりに、料理をすることが増えたので
中学3年生の時には、料理人になりたいという気持ちをもっていたようです。
バレーボール部部長
中学校では、バレーボール部に所属し部長を務めていました。
中学3年の引退試合がとても印象に残っているようです。
それは相手のマッチポイントの時に高橋さんにサーブが回ってきました。
しかしそこで高橋さんはサーブをミスしてしまい、その結果試合には負けてしまいました。
緊張感に負けてしまったとの事で、2・3年くらい夢に出てくる程印象的だったようです。
よほど悔しかったのでしょうね。
出身小学校は「春日部市立桜川小学校」
- 春日部市立桜川小学校
- 埼玉県春日部市大衾496−1
小学校4年生の時に母親に作ってあげたハンバーグを褒められたことで
料理を作ることを仕事にしたいと思い始めました。
「母の誕生日に、僕がハンバーグを作ったんです。
焦げてしまいましたが、「おいしい。ありがとう」って笑顔で食べてくれました。
喜んでくれた母の表情を今も覚えています。
とてもうれしくて、料理を作ることを仕事にしたいと思うようになりました」
引用:東京すくすく
まとめ
高橋文哉さんの学歴と学生時代のエピソードを調査してみました。
高橋さんの母親思いがエピソードを通じて分かりました。
高橋文哉さんの今後のご活躍も楽しみですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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