「アニソン界のおしゃべりクソメガネ」ことオーイシマサヨシさん。

圧倒的な歌唱力とサービス精神旺盛なトーク力で老若男女から愛されていますが、「あんなに多才な人の学生時代ってどんな感じだったの?」「いつから音楽の道を目指していたの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は、彼の華やかな活躍の裏側には、いじめを跳ね返した中学時代や、父親とスタジオを自作した泥臭い高校時代、そして運命のバンド結成へと至る大学時代がありました。
本記事では、オーイシマサヨシ(大石昌良)さんの学歴にフォーカスし、現在のトップクリエイターへと繋がる青春時代のエピソードを深掘りして解説します。
オーイシマサヨシの出身中学校は「宇和島市立城北中学校」
オーイシさんの音楽人生が産声をあげたのは、地元・愛媛県にある宇和島市立城北中学校時代のことでした。
ギターとの出会いといじめの記憶
小学生の頃からサッカーに打ち込んでいたオーイシさんは、中学でも引き続きサッカー部に所属していました。
そんな中、中学1年生の1学期に転機が訪れます。
友人の兄がベースを弾く姿を目の当たりにし、「かっこいい!」と衝撃を受けたことがきっかけでギターを始めたのです。
しかし、ちょうど同じ時期、彼はクラスで誰からも無視されるという辛いいじめに遭っていました。
多感な時期に孤独を深める中、彼を救ったのはやはりギターでした。
「あいつらが見ていない間に、とんでもなく上手くなって驚かせてやる」
そんな反骨心をモチベーションに、学校以外の時間はひたすらギターの練習に没頭したそうです。
今のテクニカルなギタープレイの土台は、この孤独な特訓期間に築かれたのかもしれませんね。
初めてのオリジナル曲は「初恋の歌」
ギターを始めて数ヶ月、中1の12月には早くも作曲活動を開始します。
初めて書き上げた曲のタイトルは「きっと今夜はホーリーナイト」。
当時お付き合いしていた彼女に向けて作った、ピュアなラブソングだったそうです。
中3になる頃には、隠れて磨き続けてきたギターの腕前がいつの間にか学校中に知れ渡ることに。
「あいつ、ギターがめちゃくちゃ上手いらしいぞ」と噂になり、かつて自分を遠ざけていたような陽キャグループからも声がかかり、文化祭のステージに立つことになったのです。
音楽の力で自分の居場所を勝ち取った瞬間だったのかもしれません。
オーイシマサヨシの出身高校は「愛媛県立宇和島東高校」
中学卒業後、オーイシさんは地元でも有数の伝統校である愛媛県立宇和島東高校に進学します。
「税理士志望」の裏で燃えていた音楽の炎
当時、オーイシさんが通っていたのは商業系の学科。
そのため、進路希望調査などの面談では、表向き「将来は税理士になります」と答えていたそうです。
しかし、その心の中ではすでに「音楽で生きていく」という決意が固まっていました。
高校生活でもサッカー部とバンド活動という二足のわらじを履き続けますが、困ったのは「練習場所」の問題でした。
高校生が大きな音を出して練習できる場所は、当時の地元にはなかなかありません。
父と建てた「手作りスタジオ」での猛特訓
ここで救世主となったのが、オーイシさんのお父様でした。
大工の資格を持っていたお父様は、息子の熱意を汲み取り、なんと実家の畑を潰して一緒に練習スタジオを建てることに協力してくれたのです。
「スタジオ」といっても、当時はまだ掘っ立て小屋に近いものだったそうですが、自分たちだけの城を手に入れたオーイシさんは、毎晩のようにそこでギターをかき鳴らし、歌い込みました。
この「何もないところから場所を作る」というDIY精神は、現在のクリエイターとしての姿勢にも通じるものがあるように感じますね。
全国大会出場と「ヤンキーの教え」
努力は実を結び、高校2年生の時にはMTR(多重録音機)を駆使して自作したデモテープが評価され、愛媛県代表としてバンドコンテストの全国大会への切符を掴み取ります。
地元の期待を背負って全国へ羽ばたいたオーイシさんでしたが、帰郷後、少し「天狗」になって地元の街を肩で風を切って歩いていたところ、地元のヤンキーグループに絡まれてしまったという苦いエピソードも。
この時、彼は
という、芸能界を生き抜くための大切な処世術を悟ったといいます。
専門学校志望から大学進学へ!人生を変えた恩師の言葉
高校3年生になり、進路を決定する時期。
オーイシさんは「一刻も早くプロになりたい」という焦りから、音楽の専門学校へ進学して技術を磨くことを希望していました。
しかし、ここで彼の人生を大きく変える「恩師」の説得がありました。
進路指導の先生は、オーイシさんの才能を認めつつも、こう諭したそうです。
「専門学校は2年で結果を出さなきゃいけない。でも大学なら4年間ある。その4年という時間の中で、いろんな環境に身を置き、多様な価値観に触れながら曲を書く方が、結果としてお前の夢に近づけるんじゃないか」
ご両親も専門学校進学には反対していたこともあり、オーイシさんはこの言葉を受け入れることにしました。
音楽を辞めるための進学ではなく、「より長く音楽と向き合うための時間稼ぎ」として、関西圏の大学への進学を決意したのです。
オーイシマサヨシの出身大学は「神戸商科大学(現・兵庫県立大学)」
オーイシさんが進学したのは、兵庫県にある国立の神戸商科大学(現在の兵庫県立大学)商学部です。
陽キャに憧れた「頼まれ上手」な大学時代
親元を離れ、神戸での一人暮らしを始めたオーイシさんは、迷わず軽音楽部に入部しました。
当時の自分を振り返り、彼は「陽キャに憧れているけれど、中身はゴリゴリの陰キャだった」と語っています。
人当たりが良く、頼み事をされると断れない性格だったため、部内では重宝されたようですが、その「お人好し」な一面が、後の幅広い人脈作りや愛されキャラに繋がっているのかもしれません。
運命のバンド「Sound Schedule」結成

そして1999年、大学在学中の19歳の時に、軽音楽部の仲間である川原洋二さん、沖裕志さんと共にロックバンド「Sound Schedule(サウンドスケジュール)」を結成します。
活動の拠点は神戸・三宮。
当時「パイ山」と呼ばれた駅前の広場などで路上ライブを繰り返し、着実にファンを増やしていきました。
その実力は瞬く間に業界の目に留まり、大学4年生の秋、2001年にシングル「美しく燃える森」ならぬ「吠える犬と君」で見事メジャーデビューを果たしたのです。
多忙を極めるデビュー直前でしたが、オーイシさんは大学の単位もしっかり取得し、無事に卒業。音楽への情熱と同じくらい、やるべきことをやり遂げる責任感の強さも、彼の学生時代を象徴していますね。
【考察】挫折と泥臭い努力が現在のオーイシマサヨシを形作った?

ここまで、オーイシマサヨシさんの学歴と学生時代を振り返ってきましたが、皆さんはどう感じましたか?
現在、「アニソン界のおしゃべりクソメガネ」として、先輩からも後輩からもイジられつつ、誰からも愛されるキャラクターを確立しているオーイシさん。
その根底には、中学時代の「いじめ」をバネにした不屈の負けん気や、高校時代に鼻を折られた経験から得た「謙虚さ」が、血肉となって流れているように思えます。
また、環境が整っていない畑に「自作スタジオ」を建ててしまうような圧倒的な行動力。
そして、自分のこだわりを捨てて恩師の助言を聞き入れ大学へ進んだ柔軟さ。
これら全ての経験がパズルのピースのように組み合わさり、一度解散という挫折を味わいながらも、アニソン界のトップクリエイターへと登り詰める強固な土台になったのではないでしょうか。
彼の音楽が、聴く人の背中を優しく、時に力強く押してくれるのは、彼自身が泥臭い青春時代を戦い抜いてきたからなのかもしれません。
今回は、オーイシマサヨシさんの学歴や知られざる学生時代のエピソードについて深掘りしました。
いじめや挫折を乗り越え、ひたむきに音楽と向き合ってきた青春時代が、今の圧倒的なパフォーマンスに繋がっていることがわかりますね。
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